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徒然三国志


「三国志に学ぶビジネス処世術」

その1.夢は人を惹きつけ、時に世を動かすものだ。

劉備(りゅうび)は他の群雄、曹操(そうそう)や孫権(そんけん)などに比べると確かな基盤の構築までにかなり遅れをとった。

金銭的、人的、土地的にも全てである。曹操には祖父より受け継いだ莫大な財力があり、孫権には父兄より受け継いだ肥沃な大地があり、故に早い段階から天下を統べる計画を練る作業に着手することが出来た。一方、土地も金もなかった劉備が一介のわらじ売りから遅ればせながら一国の皇帝にまで上り詰めた理由は何処にあるのだろう?

彼の出身地である楼桑村、村名の由来にもなった大きな桑の木。幼い頃彼が、その大きな桑の木を貴人の馬車の天蓋に例えて「いつか俺もこんな天蓋のついた馬車に乗れる様な男になってやる」と口走り、周囲を驚かせたのは有名な話である。

おそらく彼はごく幼い頃より、貧しいながらも漠然とではあるが純然たる野望を胸に秘めていたのではないだろうか?彼の人生のピークは最晩年の漢中王即位の時であるが、おそらくそこに辿り着くまで少なからず幼少時の憧憬を残しながら、半生を戦い抜いてきたのではないか。

彼ほど泥に塗れた皇帝は中国史上稀である。関羽(かんう)や張飛(ちょうひ)と逸れた時、40歳を過ぎてもまるで傭兵団長の様な境遇に甘んじていた時、徐州を奪われさまよい途方にくれた時…。

しかしどんなに苦しい境遇の時でも彼を支え続けたのは、幼い頃にみた純然たる野望、「夢」であったと思う。時に大きすぎる「夢」は、嘲笑や白眼視にさらされる事もある。劉備の事を「ホラ吹き」呼ばわりし、バカにした人もいただろう。

しかし、劉備の周りには次々と人が集まっていった。その理由の一つには、青年期の関羽や張飛との関係より指摘・推察されるとおり、彼が仁侠に生きた人であったという事が挙げられるであろう。裸一貫で乱世を生き抜いていくには、仁侠の世界の様な報酬を伴わない人間関係に頼らざるを得なかった。蜀漢に人と人との繋がりを物語るエピソードが極めて多いのも頷ける。

しかしそれだけではなく、彼の語る「夢」に関羽や張飛、趙雲(ちょううん)、簡雍(かんよう)など、官界には全く関係のない多くの人々が魅了されていったというのが、一番の理由ではないだろうか。共に夢を語り合った仲間の仇を討つため、周りの反対を押し切って私怨で夷陵へ出兵した彼は実に人間らしく思える。

出世した後も昔の貧乏時代からの夢を忘れてなかったという事だ。戦の結果はともかくとして、昔の苦労をいつまでも忘れず、それでいて嬉しそうに夢を語る上司って素敵じゃありませんか?

新たに社会人となった方々、或いは人生のベテランの方々、あなたの夢、何ですか?上司よ!部下の前で堂々と夢を語れ!!


文:傅僉さん

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