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三国志・ 三國志の基礎知識


 

●「三国時代の食事再現&入門」   文:一条さん

英傑コラムその1 三國志の食 第一回三国時代の料理?

 それでは三國志の時代、彼らは何を食べていたのでしょうか?
 
 というテーマも漠然としていて、つかみ所がないので、実際に作ってみましょう、というイベントを行いました。

 2016年7月10日、福岡市ももちパレスで行われた、「三国志ファンミーティング古代中国の食を再現!」
 というイベントで作られた料理(写真)です。

 
 とはいえ、「三國志の時代」のレシピはほとんど伝わっていません。

 そのためにテキストにしたのが、『斉民要術』という、西暦530〜550年頃、北魏の時代に書かれた、レシ
 ピを元にしました。
 
 黄巾の乱が183年、赤壁の戦いが208年、諸葛亮が五丈原に没するのが234年、晋が呉を倒し三国を統一
 するのが280年なので、三國志からだいたい300年後の時代のレシピということになります。

 その中には「三国時代もこういうもを食べていたんだろうな」というようなものが見うけられますので、それら
 をピックアップする形で料理してみました。

◆ ご飯 ◆

 ご飯ですが、米が中心の日本と違い、各地方でとれた様々な穀物を食べていました。

 一番上から右回りに、米、粟(うるちあわ)、稷(たかきび、こうりゃん)、黍(もちきび)、です。
 日本では雑穀として扱われる粟や黍ですが、当時から立派な主食として扱われました。
 主に温暖で雨の多い江南では米を、華北の乾燥地帯では粟や麦を栽培していたといわれますが、漢代に
 灌漑が広く整備されたこともあり、米の作付けも各地で広がっていたようです。
 灌漑と言えば、夏侯惇が自ら「もっこ」をかついで用水路を整備していたエピソードが在りますね。
 
 当時は「飯」といえば蒸したものを指したので、上記の穀物は全て蒸してあります。


 そして三国時代、おそらくもっとも重要だったであろう穀物がこちら。

 麦(大麦)です。
  実は「米」や「粟」が穀物の総称として扱われることがあるのに対し、麦は古くから独自の漢字が生まれ、
 他の穀物とは区別されていました。
  よくご飯に混ぜて炊かれる圧搾麦ではなく、丸麦を使用しました。
 そして現在のご飯のように、鍋で煮る調理法を当時は「粥」と言っていましたので、写真は麦ご飯ではなく
  「麦粥」になります。

◆ おかず

 それでは続いておかずに参りましょう。

 これは鶏肉の羹。
 ご存じ、曹操の鶏肋エピソード。漢中を得た劉備を討とうと攻め込んだ曹操ですが、攻めあぐね、「漢中は鶏
 の肋のようなもの、捨てるには惜しいが得るところは少ない」と思って撤退したというエピソードがあります。
 骨ごとの鶏肉にネギと棗を加えて煮込みました。
 おそらく当時は弱火でじっくりと煮たのでしょうが、時間の都合上、圧力鍋を用いました。

 上から成都風肉団子、鶏肉の魚醤焼き、そしてなれずしです。
 肉団子は蜀名産のショウガと山椒を効かせてスパイシーに、鶏肉は魚醤に漬け込みました。
 中国では当時から、大豆や穀物ばかりか、肉や魚、などを発酵させて調味料が作られていました。
 
 そして、なれずしは魚を米と麹につけて発酵させたもの。
 孫権に仕えた二十四孝の一人、孟宗にそのエピソードがあるように、中国では古くからポピュラーな食材
 だったようです。


 手前の白いものは大根の酢の物。別名、諸葛菜。諸葛亮が広めたと言われています。
 手前左は蕨の同じく酢の物。
 
 左奥はキュウリの漬け物。後漢の歳時記、『四民月令』に、味噌を作り、それに瓜を漬けるべしとあります。
 キュウリと言えば、三国志の後、後趙の石勒は騎馬民族でありながら漢化政策を進め、「胡」と言う文字を
 嫌って「胡瓜」を「黄瓜」と呼ばせたエピソードがあります。
 
 右奥はちょっと分かりづらいですが、蒸し豚です。
 晋の司馬炎が蒸し豚を食べたところ、たいそうおいしかったが、その豚は人の乳で育てられたと聞いて気
 を悪くしたという話が『世説新語』にあります。
 ご飯の中に豚肉が入っています。
 調味料を混ぜたお米を豚肉にまぶし、そのまま蒸します。
 この時代はお米を主食だけではなく、食材としても積極的に使っていました。
 おそらく、砕けた米を使っていたのでしょう。
 砕けた米をおいしく食べる知恵だったのかもしれませんね。

 手前の二つは『礼記』にある、八珍と呼ばれる皇帝しか食べられない料理の一つ、肝臓のあぶり物。
 レバーを調味料に漬け込み、網脂で包んで焼いてあります。実際は犬のレバーですが、ここでは牛のレバー
 を用いました。

 右奥は膾代わりのさしみこんにゃく。

 左奥が、後漢頃から普及したと言われる、小麦粉の食、胡飯です。
 中国は古代から穀物を煮炊きして食べる「粒食文化」でした。
 そこに漢代から、名前は違いますが、饅頭、麺、餃子など、おなじみの小麦粉を練って加工する「粉食文化」
 が普及していきます。
 この胡飯は、後漢の霊帝がとても好んだと言われています。

 そしてこれがおなじみの麺。太くてちょっと不格好ですが、味は間違いなく麺です。
 これは麺の原型で、水引と呼ばれます。
 
 作り方はこうです。
  1・小麦粉に豚肉のスープを混ぜてこねる。
  2・しばらく寝かせる。
  3・小さく手でちぎり、それを細長くなるように手で引っ張り伸ばす。
  4・ゆでてスープに入れる。

 これってラーメンですよね。
 やがて小麦粉に混ぜるのが肉のスープではなく、塩と油になり、日本にほぼ同じものが伝わりました。
 切り麺であるうどんに対して、引っ張ってのばす麺、つまりそうめんです。
 そうめんとラーメンは、共に同じ祖先から生まれたと言えるかもしれません。

 ちなみに三国時代は、小麦粉で作られた食べ物は全て「餅(へい)」と呼ばれました。
 麺も、饅頭も、餃子も、全て「餅」です。
 スパゲッティもマカロニもラビオリも「パスタ」と総称されますが、それに近いかもしれません。


◆ デザート ◆


 デザートは、我らが甘党皇帝、魏文帝こと曹丕のヨーグルトサクランボ添えです。
 曹丕が鍾ヨウに与えたらたいそう喜んだという話があります。
 その他にも、曹丕は「西の珍奇なものには葡萄と石蜜(黒砂糖)がある」と言ったり、「真定郡の梨はとても
 柔らかくて甘い」と言ったり、ライチの木を植えたりと、フルーツにまつわる話がとても多いですね。

 このようにいろいろ作って実際に試食してみました。
 味は、味付けが味噌や醤油を使わないので、ちょっと不思議な味わいがしました。
 実験的なイベントだったので、いろいろアクシデントも起こりましたが、何となく「古代の中国」に近づけたよう
 な気がしました。
 
 三國志の時代は、中国が私たちの知る中国になるまでの大きな転換点の一つです。
 これからも様々な活動を通して、それを考えていきたいと思います。

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