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出師の表とは

   英傑群像でも所々で出てきて、三国志グッズにもなっている[出師の表(すいしのひょう)]
   いきなり長く難しい文章が出てくるので、初心者には難しいと思えるかもしれません。
   神戸鉄人PROJECT、光プロダクションご協力の元、極力わかりやすくご説明したいと思います。

作者は誰?:

その意味は?:

前後と付くのは?:



何故書いたか?:

諸葛亮(孔明)(181年 - 234年) 三国志一の天才軍師 蜀の丞相・大将軍。47歳の時

出師とは「出陣する」という意味で、表は「表す」なので、「出陣の声明」という所でしょうか。

建興5年(227年)と建興6年(228年)に二度声明を出したため前後として区別されています。
しかし、一般に「後出師の表」は間違いが多くあとから作られた偽モノではないか
といわれています。

蜀(しょく)の初代皇帝 劉備(りゅうび)亡き後、孔明が自ら先頭となり
魏(ぎ)へ攻め入る直前、二代目皇帝の劉禅(りゅうぜん)に提出する為つくられました。
孔明は政治も軍事もすべて行っていたため、自らが戦争に向かうにあたり
今後について書くことで公の遺書的な意味あいもあると考えられます。

協力:神戸鉄人PROJECT、光プロダクション


孔明のその後:




蜀のその後:

文章の魅力:

「出師の表」を上奏した諸葛孔明は、魏(ぎ)へ攻め込みます。
しかし、大負けはしないものの大国魏との軍事力の差と部下のミス、
魏の名将 司馬懿(しばい)の守りの戦いの前に、足掛け八年にも及ぶ五度の出陣の甲斐
なく陣中で倒れ帰らぬ人となりました。まさに悲劇の英雄というべき最後でした。

約29年後、蜀は魏に攻撃されて滅亡します。
    
孔明の誠実で、無欲、また劉備と劉禅への忠君の姿勢、そして結果としてその戦いは
成就せず、戦いの途中で命を落としたという事実とあいまって、いまも多くの人の心をうちつづけます。

[ 出師の表 のグッズはこちらから ]
 

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