姜維(きょうい)

姜維(きょうい)

字は伯約。魏の将であったが、諸葛亮の北伐軍に降り重用された。
彼は対魏政策では急進的であったが、専守防衛政策をとる宰相の蒋エン・費イにより権限が抑えられていた。
しかし二宰相が死去すると、大きな兵権を獲得、盛んに魏領に討って出た。
この魏遠征は、結果として蜀の国力を疲弊させてしまうこととなる。
魏の西部戦線には郭淮・ケガイらが配置され防備を固めていたからであった。
西暦263年魏の討蜀軍が来寇すると姜維は要衝・剣閣に篭って鍾会率いる主力軍を防いだ。
しかし迂回路を通ったケガイ軍が成都を降し、蜀は滅亡、姜維も鍾会に降伏した。
その後鍾会は魏に反乱を起こそうとして失敗、姜維もその混乱の中で殺された。
最近の姜維像は若手の武将でヒゲのないものが多いのですが、彼の活躍時期は40を過ぎてから。
だから若手でもないだろうとヒゲを生やしております。

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