司馬懿 (しばい)

字は仲達。魏の元老にして晋王朝創始者の一人。
当時『司馬の八達』と呼ばれ、司馬氏の八兄弟はみな優秀であったが中でも特に司馬懿は優れており、その評判を聞いた曹操に招かれその幕僚となった。
西暦219年、蜀将・関羽がハン城に攻め込むと、その勢いに中原は騒然とした。
これに対し司馬懿は孫権と密約し関羽の背後を襲わせる献策をし、関羽を敗死させた。
魏の初代皇帝・曹ヒ(文帝)とは『四友』の一人に数えられる程親しく、その死に際して、曹真・陳グンとともに後事を託された。
その後主に軍事面での活躍目覚しく、西暦228年、蜀に寝返った新城太守・孟達を急襲して斬り、曹真の後任として諸葛亮の第四次・第五次北伐を持久戦で撃退し、西暦238年には遼東に遠征して公孫淵を討伐した。
しかし二代皇帝・曹叡(明帝)が没すると、ともに後事を託された曹爽により名誉職に祭上げられ、実権を奪われてしまう。
司馬懿は持ち前の韜晦術で曹爽派を油断させ、西暦249年、クーデターにより曹爽派を一掃して政権を掌握、後の晋王朝成立の礎を築いた。西暦251年病没。