鍾会(しょうかい)

鍾会 (しょうかい)

 字は士季。魏の重臣・鍾ヨウの子。
 智謀に優れ、司馬氏の謀臣として活躍した。カン丘倹の乱後、司馬師が病死した際に諸軍は洛陽に帰還し司馬昭は許昌に駐留する旨の詔勅が出されたが、鍾会は軍勢を率いたままラク水に進出して朝廷を威嚇するよう献策し、おかげで司馬昭は大将軍に任命され司馬師の跡を継ぐことができた。
 西暦263年、司馬昭が蜀進攻の動員令を下すと、鍾会は総司令官に起用され十万の主力を率いて斜谷・ラク谷より漢中に攻め込んだ。
当初の作戦ではトウ艾・諸葛緒軍が姜維軍を釘付けにする予定であったが、姜維は両軍をすり抜け剣閣に立て篭もったため鍾会の主力は逆に釘付けにされてしまう。
その間にトウ艾軍が迂回路から成都を降し蜀は滅亡した。
 鍾会はこの遠征に際して密かに独立を目論んでいたようで、諸葛緒の兵権を奪い、トウ艾を罪に落として十数万軍勢を一手に握った。
そして姜維と結んで反乱を起こしたが将兵は彼に従わず、決起した部下に殺されてしまった。

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