夏侯淵

字は妙才。親族衆にして曹操軍古参の武将。奇襲戦法を得意とする。
 曹操挙兵以来従軍し、当初は兵糧輸送等を、その後は地方の造反討伐に従事した。
 西暦211年、馬超・韓遂が関中諸軍を糾合して反乱を起こすと曹操ともに渭南でこれを撃破、安定まで追撃した。曹操が中原に帰還する際に夏侯淵を関中に留め置き、残党に備えさせた。果たして馬超が再起して祁山を包囲すると張コウを先鋒に馬超を撃破し、さらに羌族の地に攻め込み韓遂を滅ぼした。
 曹操が漢中を占領すると、夏侯淵を駐留させて劉備と対抗させた。両軍の攻防は数年にわたった。
西暦219年、劉備軍の夜襲を契機に均衡がくずれ、夏侯淵は苦戦中の張コウに自軍の半数を救援に向かわせ戦線の維持を図った。しかしそこを劉備軍につかれ戦死した。

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