張コウ儁艾

 字は儁乂。黄巾の乱の討伐に従軍し将校となり韓馥の指揮下に入った。韓馥滅亡後は袁紹の臣となり、公孫サン戦に活躍、重臣の席に列した。
 官渡の戦いで烏巣兵糧基地を襲撃された折には、郭図が曹操本営攻撃を主張したのに対し烏巣救援を主張したが容れられず、本営攻撃の指揮官を命じられた。曹操軍本営は張コウの読み通り十分な備えがあり、攻めきれなかった。進退窮まった彼は曹操に降伏しために袁紹軍は総崩れとなった。
 以後は、地方の反乱討伐に従事し、漢中を平定すると夏侯淵とともにその地を守備した。夏侯淵が戦死すると諸将に推されて司令官を代行し、曹操の救援到来まで漢中を死守した。
 その後も軍部の重鎮として様々な戦いに参加、諸葛亮の第一次北伐では馬謖を街亭で破り、撤退に追い込んだ。
 西暦231年、第四次北伐では、撤退中の蜀軍を追撃して木門で交戦、戦死した。

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