賈ク

字は文和。張良・陳平のような謀将。若いころ賊徒に捕らえられた際、段珪(後漢後期に西方で武威をとどろかせていた将軍)の一族だとブラフをかまして生き延びた。
その後、董卓・李カクに仕えた。董卓の死後、長安攻撃を主張して李カク・郭シの政権確立に寄与したが、彼らを抗争を始めると長安を離れて、南陽の張繍の幕僚となった。その後、張繍が曹操と戦争を始めると卓越した読みで曹操を幾度も撃破した。しかし、天下が袁紹と曹操の両雄に集約されると曹操の長所を挙げ、張繍を曹操に付かせた。
西暦211年、馬超・韓遂が反乱すると、謀略をもってかれらを離間し戦勝のきっかけをつくった。
魏国が固まって後、曹丕・曹植の間に後継者争いがおこると、袁紹・劉表の例をだして婉曲に曹丕後継を曹操に諭した。西暦223年病没。
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