曹爽

 字は昭伯。曹真の子。
 曹叡(明帝)の信任厚く、その死に際して司馬懿とともに後事を託された。当初は司馬懿を尊重していたがすぐに名誉職に祭上げ独裁体制を敷いた。西暦244年、蜀討伐の大軍を興したが蜀軍が要害を堅守したため成果なく撤退した。
 曹爽の権勢並ぶべき者ないものとなると、司馬懿は病と称して自宅に引き篭もった。
彼の部下も司馬懿の重病のふりにすっかり騙され、曹爽派は司馬懿に対する警戒を解いてしまう。
西暦249年、曹爽が魏帝とともに洛陽を離れた隙をついて、司馬懿はクーデターを敢行した。この時、曹爽の腹心・桓範は『天子を擁しているうえは諸軍に号令をかけ司馬懿を討つべき』と進言したが、この策を用いることができず処刑された。この曹爽の処刑により有力な一門衆は朝廷から一掃され、宗室は丸裸となった。以後司馬氏による魏王朝乗っ取りが進むこととなる。

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