曹操

字は孟徳。魏の創始者、武帝。
漢末の大宦官・曹騰の孫として生まれた。若い頃は非行にはしり、彼を評価する者はなかったが、橋玄と許子将は彼を高く評価した(許子将『治世の能臣、乱世の奸雄』)。
西暦184年、黄巾の乱が起こると騎都尉として鎮圧に参加しエイ川方面で活躍した。
西暦190年、董卓が政権を握り、関東の諸侯が挙兵すると、浪人中の曹操は自費で兵を集めて連合軍に参加した。
この後数年兵が集まらず不遇の時期が続くが、済北で青州の黄巾軍100万を降して武運が開けた。黄巾軍のなかでも特に精強な者を青州兵として曹操軍に編入、これを中核として呂布・袁術といった周辺諸侯を次々と打ち破り、河南を平定、献帝を擁立して袁紹に次ぐ勢力にのし上がった。
西暦200年、官渡の戦いにおいて兵力1/10という劣勢(袁紹10万・曹操1万、ただし最近では3、4万はいたのではと考えられている)を覆して曹操がこの戦いに勝利し天下の覇権を握った。
西暦208年、袁家を駆逐し中原を平定すると矛先を転じて、南征軍をおこした。荊州の劉jを降したものの、水上の戦に不慣れな曹操軍は赤壁で孫権軍に敗北、天下統一の好機を逸してしまう。以後、西北の馬超ら辺境の軍閥を討伐する一方で国内では新王朝樹立のための体制作りに奔走し、三国最大勢力『魏』の基礎を築いた。西暦220年病没。
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