孫チン

字は子通。孫峻のいとこに当たる。孫峻の没後その地位を引き継いだ。
孫峻の死後、トウ胤・呂拠らが軍勢を動員して孫チンらを政権から排斥しようとはかったが両者の連携がうまくいかず、トウ胤は殺害され呂拠は自殺した。こうして孫チンは大将軍に就任、孫峻の権勢を承継することができた。
西暦257年諸葛誕が反乱を起こすと大軍を動員してこれを救援しようとしたが魏軍の包囲網に阻まれ果たせなかった。
この敗戦責任と孫峻一門の専横のため彼への批判は日に日に高くなった。呉の二代皇帝・孫亮はこの機に孫チンを討って権力を奪回しようとしたが、事前にこれを察知した孫チンに宮城を包囲され廃位され、替わって孫休(三台皇帝・景帝)が擁立された。
以後、孫チンの権勢はますます募った。そこで孫休は張布・丁奉らと相談し孫チン打倒の密議をこらした。西暦258年、宮中において孫チンは逮捕され処刑された。
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