魯粛

字は子敬。周瑜が富豪の彼に援助を求めた際、彼は蔵ひとつを快く差し出した。これが縁で周瑜と交友を結ぶこととなり、また孫権に仕えることとなった。
赤壁の戦いにおいては孫権と劉備の同盟を橋渡しした。その後も劉備と手を結びつつ曹操に対峙する対蜀協調外交を主張した。
そして西暦210年、周瑜が没すると彼がその跡を継ぎ、呉の外交姿勢も魯粛のそれにシフトした。
しかし、劉備が益州を得た後も呉が貸与した荊州南部を返還しないことにより孫権・劉備の関係は悪化、あわや全面衝突という事態に至る。このときも魯粛の活躍により湘水を国境線とすることにより一応の決着をつけることができた。
西暦217年、病没。
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