呂蒙

字は子明。
 15・16歳で孫策軍に従軍し、これをとがめた母親に『虎穴にいらずんば、虎子を得ず』と言ったとされる。その後も武功を上げ将軍に取り立てられた。
 このとき孫権に一軍の将たる者、武勇のみならず学識も必要と諭され、学問に励み魯粛をも感心させる学識を身につけた。
 以後はワイ南戦線を功績を挙げ、劉備との間で荊州を巡り争いが起こると長沙・零陵を占領した。
 魯粛が亡くなるとその後任として陸口に入り、魏蜀ににらみをきかせた。西暦219年、関羽がハン城を攻めた。このとき関羽は呂蒙を警戒して多数の守備隊を残していた。そこで呂蒙は病気療養のためと偽り建業に移った。果たして関羽は、守備隊をもハン城に動員、呂蒙は密かに軍を動かし荊州を攻略、関羽を敗死させた。
 その後まもなく病死した。

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