陸遜

字は伯言。もとの名は陸議。孫権中後期の名将。
21歳で孫権に出仕し主に山越などの不服住民の鎮圧に従事した。
西暦219年、蜀の関羽が魏のハン城に出兵し、呉にとって荊州奪還の好機が到来した。
陸遜は呂蒙の後任として陸口に着任し関羽を油断させ荊州攻略に大いに貢献した。
西暦222年、劉備が関羽の仇を討たんと呉へ出兵してくるとこれを夷陵に迎え撃ち、持久戦に持ち込んで劉備を大敗させた。
その後も呉の柱石として活躍、228年には曹休を淮南で撃破し、236年には諸葛瑾とともに襄陽に出兵している。
西暦244年、丞相に就任。しかしこの当時孫権の後継者を巡り皇太子派と魯王派が対立していた。
陸遜は皇太子を支持したため、魯王派に讒言され孫権の信頼を失ってしまう。その後、まもなく失意のうちに病死した。
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