孫権

字は仲謀。呉の初代皇帝・大帝。
孫権の次子である彼は、兄・孫策の死によりその跡を継いだ。軍事は周瑜、内政は張昭に委ね国内を纏め上げた。
西暦208年、江夏を攻め落とし、父の仇・黄祖を討ち取った。同年、荊州を降し曹操軍が呉に攻め寄せてくる。このとき国内には降伏・抗戦の両論が噴出していたが、抗戦に国内世論をまとめ、周瑜に水軍を指揮させ、曹操軍を破った。
江東を守るにあたり魏の合肥城は、喉元に突きつけられた匕首であった。208年以降幾度も出兵して合肥を攻略しようとしたが、魏軍の堅守にあって果たせず、215年には張遼に奇襲され、危うく戦死するところであった。
西暦219年、関羽がハン城に攻め込むと、孫権は魏を密約を結び関羽の背後を襲いこれを敗死させ、荊州を奪還した。その後劉備が侵攻してくると、魏に臣従して両面作戦を避け、陸遜を大都督に任じて劉備を打ち破った。
この後、蜀との関係が修復されると、呉蜀連合して魏にあたる方針に復帰し、魏から独立した。
これに怒った曹丕は曹仁らに大軍を与えて攻め込ませたがいずれも撃退した。
以後、長江の天険をもって魏の侵攻を撃退し呉政権を安定運営したが、晩年には夷州や遼東に対する政策や陸遜の事件など老齢による弊害が目立ちだした。西暦252年病没。
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