孫堅

字は文台。孫家軍閥の創始者。孫子の末裔?
17歳のとき海賊を討って名を挙げ、役人に取り立てられた。黄巾の乱ではエイ川・エンで黄巾軍を大敗させた。その後各地で続発する反乱を鎮圧して武功を重ねた。
西暦189年、都が混乱し、董卓が政権を握ると関東では反董卓の気運が高まった。
孫堅も挙兵し連合軍に協力しない刺史・太守を殺害してその兵を吸収しつつ北上し、魯陽にいた袁術の指揮下に入った。
梁においてこそ董卓軍に敗れたものの、陽人で董卓軍を撃破したのを皮切りに連勝して洛陽入場を果たした。洛陽では董卓により荒らされた皇帝の陵墓を修復している。
董卓が長安に去って以来、袁術と袁紹は対立するようになった。袁術は袁紹の同盟者である劉表攻略を孫堅に依頼、孫堅は劉表軍を蹴散らして襄陽を包囲したが、その郊外で伏兵に遭い戦死した。
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