周瑜

字は公瑾。呉の創業を支えた名将。
 孫堅が反董卓連合に参加すると家族を舒に移住させた。これが彼と孫策が知り合うきっかけとなる。
 西暦194年、孫策が江東に攻め入ると周瑜も兵を率いてこれに参加し、劉ヨウを打ち破った。
その後しばらくは袁術のもとにいたが彼が大業をなす人物でないと失望し、孫策に仕えた。
 孫策が急死するとその弟・孫権を補佐した。
 西暦208年、曹操が荊州を降して呉に攻め込んでくると、精鋭の水軍を率いて赤壁に対峙し火攻めをもってこれを撃退した。これに勢いを得た呉軍は荊州南部で曹操軍と攻防戦を繰り広げ、ついに曹仁を江陵より撤退に追い込んだ。
 さらには益州を占領し、涼州の馬超と同盟して曹操を討とうとする戦略構想を周瑜は持っていたが、それに着手した矢先病死してしまった。

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