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第三回 一番は誰だ!アンケート寸評

第三回目の結果が出ました。
  質問:三国志で一番長生きしてほしかったのは誰?

1位は「ホウ統」
  諸葛亮と並び賞される天賦の才の持ち主「ホウ統」が今回の1位!
 益州を平定し、三国鼎立への足がかりとする戦略は「ホウ統」の策と言う説も有ります。
 その益州遠征中の?城攻略の際、陣頭指揮の最中、流れ矢に当り陣没しました。
その時36歳。まさに不運としか言いようがないと思います。
もし、その後も生きていたら・・・。
 私的には関羽と共に荊州の守りを担って欲しかったと思うのですが、皆さんはどうでしょうか・・・
 
2位は「呂布」
  天下無双の豪傑「呂布」が2位!
自らの疑心と裏切りの数々が最後は仇となった感のある呂布。
没年は198年ですから、やはりもう少し活躍して欲しかったところですね。波乱万丈の
人生でしたが、華があり魅力的でした。
しかし周りの諸侯にとっては「敵にしても味方にしても厄介」な、頭の痛い存在だったでしょう。
もし生きていれば、この戦乱をまだまだ混乱させていたに違いないでしょう。
それとも曹操の配下武将として、大活躍してたのでしょうか?
劉備と共に天下をとるということも考えられますね。
 
3位は「郭嘉」
  智謀抜群!若き軍師「郭嘉」が3位!
 郭嘉が荀ケの勧めで曹操と出合ったのは27歳。曹操より15歳年下でした。重臣の中
にこれほど若い者は居ませんでしたが、荀攸、程郁と並ぶ参謀として数々の献策を行い
ました。特に先見の明は類稀な物があり、孫策の死を予言した事は有名です。
 曹操は幾多の幕僚の中でも郭嘉に最も信頼を寄せていたようですが、病に勝てず、
38歳で没します。没年の翌年、赤壁の大敗で曹操が「郭嘉さえいれば・・・」と言う台詞
は正史にも載っている有名な物ですね。
 赤壁の戦いの前年の死・・・。これも天命でしょうか。
もし生きていれば、歴史が大きく変わっていた事は間違いないと思います。
 
4位は「孫策」
 

小覇王「孫策」が4位!
 孫策の父孫堅が他界した時、孫策は僅か17歳でした。基盤となる国を持っておらず、
各地を転々とし、袁術の元に赴きます。その後、千程度の僅かな兵を借り、21歳の時
出兵。快進撃を続け、僅か6年で江東6郡を平定し呉の礎を築いてしまいます。
 しかし破竹の勢いの若干26歳の時に暗殺されてしまいます。獅子奮迅し活躍した期間
と功績、年齢を考えるとあまりにも早すぎる非業の死と言えるでしょう。民衆にも慕われ
ており、どれだけ多くの人が彼の死を惜しんだか知れません。
 もし生きていれば義兄弟周瑜と共に、どれほどの活躍を繰り広げていたでしょうか。
 

5位は「周瑜」
 

孫策の義兄弟!無類の名将「周瑜」が5位!
孫策の出兵時にいち早く駆けつける。その時、孫策と同じ若干21歳。その姿を人々は
親しみをこめて「周郎」「美周郎」と呼んだと言います。孫策の快進撃における周瑜の存
在は大変大きかったに違い有りません。孫策の死後も孫権に誠実に仕え、信頼関係も
絶大でした。
軍師としての才能も秀でた物が有りますが、赤壁の戦いでは優れた戦術指揮官としての
才能も発揮し、稀に見る名将と言えるでしょう。その後、「天下二分の計」の為の遠征準
備の道中に病死。36歳の若さでした。
 私的ですが、もし生きていれば陸遜とのコンビは魏蜀にとって大きな脅威となっていた
と思います。孫策と周瑜が生きていれば、まだまだ三国時代は続いていたことでしょう。
 

今回投票して頂いた皆様、本当にありがとうございました。
 プレゼント当選者 神奈川県 大西様

 

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