長江の旅・その2
 
 
◎張飛廟だって・・・
最初の夜は満月で、真っ暗な長江を照らし出してなんとも幻想的な風景でした。
船は夜中停泊し、朝方動き出しました。

その朝方、雲陽に差し掛かり、張飛廟の前を通過。これも沈んでしまうので移設するとか。
しかしなんでこんなところに張飛廟が?
はっきり言って、この旅にくるまでその存在を知りませんでした。
説明によると、部下に討ち取られた張飛の首がなぜか長江に投げ込まれ、それを漁師が拾い上げて祀った場所だということでした。
???張飛の首が長江に?誰が投げたの?それとも劉備が逃げる途中で落っことしたとか・・・?
うう〜ん。中国国内の史跡ってあとから三国演義読んで作られたものが多いのでよくわかりません。でもここは1700年ほどの歴史があるのだとか…本当かなあ。というわけで後ほど民間伝承「張飛廟」のお話を紹介しますね。

↑ちょっと見難いかもしれないけど、張飛廟(左上)、
白帝城(真ん中あたり)の位置関係はこんな感じ。

←張飛廟。
(ここの写真取れなかったので地図からの抜粋。)
上陸はできませんでしたが船からでもこういう部分のみ見られます。
首が流れ着いたって・・・ねえ。
◎白帝城上陸!


そして本日は白帝城へ。

嘘みたいにいいお天気になっちゃって暑いのなんの。
噂に聞く900段の階段に密かに恐れを抱きつつも、行ってみると山間沿いにくねくねと涼しげな石階段が敷かれ意外にキツくなかったです。

ダムができると、ここの階段も600段くらい水没してしまうそうな。だから記念に、と自分の足で登る人も少なくなかったです。
この階段お年寄りにはキツイみたいで籠が用意されていました。

小船に乗り換えて上陸。
ほそい階段ぞいにはお土産物売り屋さんが延々と並んでる。飲み物は10元だった。

男性二名に担がれててっぺんまで登るんですが、これが狭い階段を行くので結構大変。渋滞してました階段。
なんとかたどり着くとそこは観光客でいっぱい。

さて、白帝城といえば、三国志ではあの劉備が最期を迎えた場所として有名です。そのせいか、ここを建てたという公孫述のことなんかこれっぽっちも…。いやいやとにかくここは蜀の有名な場所なのです。ここには彼らのゆかりのものが多く展示されていました。
しかし、1800年の昔っからここにあるとすれば、登るの本当に大変・・・。



諸葛亮が星を読んだという観星亭。

 

これが籠。乗ってる人は揺られて
結構 辛そうだったな…(笑)

ここまで登れば勝ったも同然。
この先はいよいよ白帝廟が。
これが白帝廟の門。
人がほんっとーに多かった・・・。  

白帝廟の門をくぐるといきなり正面に「劉備後事を託す」の名場面が。
奥で寝そべってるのが劉備、左が諸葛亮。
劉備の右脇に立つ趙雲がカッコイイ!
でも彼は一番奥に立っていたため写真がよく取れず…(泣)

↓彼らを取り囲む忠臣たち。


張翼と陳到。なんかな〜…

ケ芝、張苞、後ろにいるのは関興

左は馬謖と文官たち。誰だったか覚えてません(汗)
手前はなぜか廖化。なんかカッコイイんですけど。
ここには劉備・諸葛亮の戦いを描いたタイル画がたくさん飾られていました。
漢文で注釈がついていたので一応全部わかるのですが、一緒に行ったツアーの人はそれほど詳しくないのでひとつひとつ説明しながら歩いてるといつの間にか人が寄ってきてにわかガイドになってたりして。
次から次へと質問されるもんだから観光する時間が殆どなくなって来ちゃって、大変でした・・・。
っつーかここへ来る日本人観光客って殆ど三国志知らないんじゃ・・・(汗)
オバチャンが諸葛亮の像みて「なにゃエラそうな人やから写真でもとっとくわ」だって・・・。ぷぷ。
↑は夷陵敗戦の図。↑南蛮討伐戦で孟獲が降伏している図。
右は陸遜と朱然、左は劉備を助ける趙雲の姿が。
タイル画。こんなのがあちこちに飾られていました。
 
暑さと混み具合に結構ヤラレて、来た階段を降りました。 降りる方が結構ツライです。
膝が笑いました…運動不足のせいかも(汗)
ここのせいでこのあと私は筋肉痛になりました…。
白帝城への入場料は40元。ここへ来る遊覧船もあるようです。  

階段はこんな感じで石段がずっと続いている。

崖の真ん中にある溝のようなものは道です。
いわゆる古桟道。蜀の国にはこういう道が多か
ったのです。

白帝城を後にするとしばらくまたのんびりと船であたりを眺めていられる時間がありました。
部屋に戻るとエアコンが壊れていて部屋にもどれなくてしばらくデッキで涼みがてら外を見ていたんですが…。

このあたりは集落も少なくて、両脇は崖で囲まれていたりして。
 



このあたりが王昭君の故郷

瞿塘峡の眺め。
いい風が吹いていました。


←崖の下に開いている穴は少数民族巴(ハ)族の
住居跡だそうです。彼らは山を崇拝する民族な
のだそうです。




この日は午後から三峡をめぐりました。
三峡クルーズの目玉ですね。
瞿塘峡(くとうきょう)、巫峡(ふきょう)、西陵峡(せいりょうきょう)を通過します。
川幅が一番狭いのは西陵峡ですが、小三峡、小小三峡などと呼ばれるほど狭い場所もあるようです。


途中、王昭君の故郷を通りました。
王昭君というのは前漢の時代に匈奴の王に嫁いだ女性です。
元々皇帝の後宮にいた女性ですが、皇帝はこうなるまで彼女の名も顔も知りませんでした。いざ、嫁ぐ時になってその美しさに皇帝は悔しがったと言います。
彼女は悲劇の女性としていろいろな書物に書かれたりして有名で、地元では漢民族と匈奴の間を取り持った英雄と崇められています。
彼女は中国の四大美女の一人としても有名です。
ちなみに四大美女とは、西施(せいし)、貂蝉(ちょうせん)、楊貴妃(ようきひ)、王昭君(おうしょうくん)となっています。
貂蝉などは演義の創作なのに美女の一人にかぞえられているんですね。
 

さて次回は神農渓の清流下り、荊州上陸です。