長江の旅・その5

さて、赤壁から再びバスへと乗り込んで、今度は武漢へと向かいます。
バスにゆられること3時間。
荊州からだと220キロ。
220キロっつーたらアナタ、東京から静岡くらいまでありますよ。そんな距離感ももはやマヒさせるくらい中国は広いです。
途中の道はあまりよろしくなくてバスは揺れっぱなし。
乗り物酔いする人は酔い止めをお忘れなく!私は平気でしたが。


武漢長江大橋。中国ではじめて長江に掛け
られた橋です。当時は大騒ぎだったとか。
武漢の街。大都市なのです。

武漢体育館は建設中。
完成すれば5万人を収容できるとか。
武漢は湖北省にある、三国志ゆかりの地として有名です。ここは三国時代の江夏。
江夏といえば孫策や孫権が父の仇である黄祖を討った場所ですね。
現代ではここは中国三番目の大都市です。人口はなんと800万人。
かの孫文が起こした辛亥革命の始まった都市でもあります。
武漢の有名な場所といえば黄鶴楼。
すごく立派な建物でなんとエレベータ付き。でも降りるときは階段でないとダメらしいです。
明朝早いため、この日に行くことに。
中国では7,8月と二ヶ月夏休みがあるので子供の団体とかも結構いました。
黄鶴楼は日本でいうと「鶴の恩返し」みたいなお話しが起源。お話しはこうです。

貧乏くさい老人を助けた酒屋さんのご主人(黄さん)にお礼に、と言って貧乏老人が鶴の絵を描いてあげたところ、その鶴が絵から抜けだして踊り始め、その酒屋さんは評判になってご主人は大金持ちになったそうです。
その酒屋さんが立てたのがこの黄鶴楼。10年たって、あの貧乏オヤジが帰ってきて、実は八福神の一人だったという顛末。
鶴はその福の神のペットだったらしくて1日(天界での1日は人間界の10年)だけお礼に貸してあげたんだということだったらしいです。
そうして神様は鶴に乗って帰っていきましたとさ。

だからここのシンボルは鶴なんですねえ。
このお話しは中国では知らない人はいないと言われるくらい有名なお話しだそうです。
日本でも「鶴の恩返し」の話を知らない人ってあんまりいないですよね
これが黄鶴楼。ものすごく立派です。黄さんが建てたから
そう呼ばれるのね。最初は3階建てだったらしいっす。
武漢在住の人の自慢だとか。

これは漢水。劉備が逃げてきたとこね。

黄鶴楼にはこのような漢詩がたくさん
飾られていました。お土産物もいっぱい。

黄鶴楼からのながめ。前の山は亀山。
後ろには蛇山があります。
武漢は漢口、漢陽、武昌という三つの地区から成っています。武昌、という地名は孫権がつけたものだと
言います。この地を平定したときに、孫権は武力を持って治め、繁栄させようという意味を込めたそうです。
この日は武漢のホテルにお泊まり。
窓からは長江と漢水が交わるところが見えます。長坂で敗走してきた劉備はここを下って来たのでしょう。
もうお気づきでしょうが、長江はその場所その場所で呼び名が違います。
揚子江、という言い方は上海付近のみで、荊州あたりの支流は荊水、淮南あたりでは淮水、
ここは武漢だから漢水なんですね。
ここでの夕食はお待ちかね「三国志宴」
よっ!待ってましたー!どんな料理がでたのかは写真をどーぞvでも多すぎて全部は無理!

レストランの壁には三人の君主の絵が掛けられ雰囲気は盛りあがりv
豪華絢爛、可愛い女性二人による演奏付きv
魚のすり身がもちもちっとした食感。
「銅雀鎖二喬」・・・ってなぜこれが二喬?

三つの料理からなる「三顧の礼」は野菜中心。粗食チックなのがそれっぽいなあ。

「泣いて馬謖を斬る」・・・ウナギだった。唯一これだけ
が食べれませんでした・・・ウナギ苦手。ごめんね、
馬謖。でもなんであんたウナギなのよ、馬謖?
劉備と孫夫人の結婚式。さすがに豪華な感じ。牛肉のフライの盛り合わせ。当時牛肉は高貴な人しか食べられませんでしたからね。

「草船借箭」諸葛亮が赤壁で周瑜に「10万本の矢を
取って来い」って言われた話。先頭にのっかってるの
が孔明先生らしい。(コイツはさすがに食えなんだ)
焼き鳥なんだけど・・・
さすがに10万本はなかった(笑)
夷陵での火計をあらわしたもの。辛いお魚の料理なんだけど、私的にはこれが一番美味しかった。劉備にとっては辛い負け戦だったものね。でも美味しいわv
陸遜、ありがとうv
さて武漢を離れる前に、湖北省博物館へ。
ここには曾の国の王の遺品がたくさんありました。
お弁当箱とか鉄板焼きの皿とか、日常品がたくさん展示されていてなかなか面白かったです。

曾の乙王の衣装箱。おしゃれですねv
楚と曾って日本語だと同じ読みでややこしい。

出た!これが酒樽!でかい〜!二層構造になっていて下にお湯を入れてお酒を温めるんです。これで寒い冬でも熱燗がキュッといけますねv


王様用の食器セット。箸置きまでキンピカ〜


こんなふうに戟とか当時の武器
もたくさんありました。


馬具もありました。
ご覧のとおりアブミがありません。
当時から馬に乗るときは腿で締めて
乗っていたんですね。大変だわ〜。


鉄板焼き用の道具。考えることは昔から同じなのねえ。江南で一番よく食べられていたのは豚ですが
バーベキューもやっぱり豚メインだったのかしら。
竹間。字が小さいよ〜虫メガネがいるってば。
 

当時の楽器を複製したものでの演奏会。後ろにある大きな鐘の集合体のようなものが「編鐘」と言われる大きな楽器。急遽演奏会をやっていただいたのですが、その最中に突然停電になって真っ暗に。暗闇の中の演奏もすばらしかったです。
荊州博物館にあったのは「楚の国」の王族の遺品でしたが、ここ湖北省博物館にあるのは「曾の国」の乙王の遺品。
ですからちょっと規模が違いますね。
昔の楽器とか埋葬品の多さがすごい。
あとやっぱりあった殉死。13歳くらいの少女もいたそうです。おそらくは後宮の女性でしょう。

湖北省博物館を後にして、再びバスで移動。武漢博物館という名の(笑)お土産物屋さんに寄り、またしても三国志グッズを買いあさりガイドさんに笑われる私でありました・・・。
お土産物やさんのある武漢博物館は出来たて。
武漢大学。中国でも5指に入る名門校。
二学期は9月1日から。
冬休みは1月末から2月まで。 旧正月っすね。
土産物屋さんに必ずある関羽の絵巻物。
やっぱりみんな緑色の着物着てますね。

中国で多いのは電気で走るトロリーバス。
やっぱり車公害が深刻みたいです。
トロリーバスは5角で乗れます。

武漢空港。やっぱり靴脱がされました。
武漢空港で昼ごはんを食べて時間をつぶす。中国では飛行機はまだまだ高い乗り物なのですね。
利用客はほとんどがビジネスマンでした。
ともあれ、上海に戻ってきて、一泊し、次の早朝に日本に戻りました。
上海ではまた南京路で買い物と足ツボマッサージで極楽気分に。
何回きても中国は新しい発見がありますね。
長江の旅は、とりあえず、ここまで。
そうして、武漢空港から上海へ空路、戻りました。
飛行機の中ではまた弁当みたいな食事が出てげんなり・・・。
なんでこんな短時間に何回もごはんたべなきゃならんのかのう・・・。

最後はまとめを書きますねv