上海の史跡を訪ねて    

上海には数少ない三国時代の史跡をさがして、観光らしいことをしようと思って、上海市内でいける三国ゆかりの名所をあらっていたら、ありました。
ひとつは静安寺、もうひとつは龍華寺
どちらも例の文化大革命のおりに被害を被り全部は残っていません。
 

静安寺    

静安寺の外観。門は立派だけど中身が・・・
静安寺は三国時代に建立された密教(真言宗)の寺で、あの空海が遣唐使で訪れたことがあるという由緒あるお寺です。
しか〜し。
私が行った2002/2月現在改装中でほとんど見るところはありませんでした。
門と仏殿のみであとは燃えちゃったんだとか。
どうやら昔のカタチに復興させるようで、完成予定図が描かれていましたが、これが完成する前と後で入場料同じ5元はないんじゃない?

まわりを高層ビルや道路に囲まれていて騒々しい雰囲気。だけど旧正月近いせいか、参拝者が多かった。
 
地下鉄2号線の静安寺という駅でおりてすぐ。
ここはバスで行くより近いです。
すぐ前が道路だし。
近くに静安公園があって、そのとなりで市場が開かれていました。
なにかイベントみたいなものもやっていましたが、中国語でさっぱり(汗)
でもそっちのほうが面白かったです。
龍華寺

龍華寺の表門。金文字が眩しい〜〜
さてこちらは上海の南にある龍華寺。
龍華寺は三国時代の孫権が建てたというお寺なんですが・・・ガイドブックによってかいてあることが違うんです。
242年とも247年とも書かれていて、しかも孫権が「父を亡くして哀しんでいる母親を慰めるために建立した寺」というからアヤシイ。
たしか蘇州の北寺塔のときもそんなこと言ってなかったかな?
つか、どっちが先に建てられたの?

中国の寺院はよくこういった黄色が使われます。黄色は高貴の色だから。
 
孫権の母といえばこの年代だと呉国太になりますが、242年にしろ247年にしろこのとき一体いくつだよ、オイ!てなもんです。
あの名将陸遜ですら死期を迎える年代というのに、孫権の母親が生きていたとすれば90才くらい?
当時の中国からして、それだけ生きるとなるともう仙人の域ですね。

お線香をこの手前の炎で燃してお参りするんですが、
作法がわからず〜(汗)
242年〜247年建立ということならば、242年、孫権は息子の孫和を立太子として、大赦を行っています。
そしてこのとき、禾興という地名を嘉興と変更しています。この改名の理由は禾という字が孫和の和という字と読みが同じだったからそれを避けるためだと言われています。
嘉興というのは蘇州あたりにある場所だと思うのですが、昔の地図だともっと上海よりだったのかもしれません。
総じてこの寺は孫和の立太子の記念の折建てられたに違い無いと思うのです。
寺の前に立つ龍華塔。
残念ながら中には入れません。
 

三面千手観音。千手観音は人々に
救いの手を差し伸べる。この手、本当
に千はありそうだ〜神様の手を数える
ときは臂(ひ)と言うそうな。
また、翌年には丞相だった顧雍が死去、流行り病や、天変地異が相次ぎ、海塩県では黄龍が、新都郡には白い虎が出現したといい、247年までには全j、陸遜、歩隲など孫権を長年にわたって支えてきた歴将たちが次々と死去します。この状況に孫権としては哀悼の意を表したとしても不思議では有りません。

巨大な四天王が護る四天王殿。手には楽器やら剣やらいろいろ持ってた。鎮魂というよりむしろ祈願という感じ。


いやいや、同じ5元でもこちらのほうがずっとお徳です。巨大な四天王が護る四天王殿。手には楽器やら
剣やらいろいろ持ってた。鎮魂というよりむしろ祈願という感じ。
見かけは禅宗寺院の外観で、五つのお堂があり、このような巨大な仏像が安置されています。
ここの釈迦像は一見の価値がありますよ。 大銅鐘という鐘がある鐘楼は撮影禁止。
奥に精進料理のレストランがありました。
 

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